2012年07月18日

CHICAGO!

の曲が、すごくいい!曲からオーラ出てます。

ジョン・カンダーって、誰?キャバレーの曲も書いた人やって!キャバレーも見た事がないから分かりません…。

世界はやっぱり広いというか、僕もまだまだ知らないこといっぱいありますね。音楽なんて星の数ほどあふれているもんね。

でもああいう曲書ける人って、どんどん減っていると思います。淘汰されているのかも知れないけど。

posted by いのじゅん at 23:02 | 日記

2012年07月14日

職人

っていう響きにあこがれるなあ

今日どこかで、砲丸投げの砲丸を作っていた日本の職人さんの話を読みました。恥ずかしいけど、目を輝かせて読んでいたと思います。コンピューターで計算されたものより、勘を頼りに作ったもののほうが不良品が少なかったって。でも勘といってもあてずっぽうじゃなくて、経験をつめば、コンピューターにすら計算できないような細かいことまで人間の脳は勝手に計算して判断を下せるようになる、ってことなんでしょうね。


天才っていう響きはあまり好きじゃないなあ。どう転んでも今さら天才にはなれないから、っていうのもあるけど、破滅型とか、そういうイメージが僕の中にあるからかな。簡単に使われすぎて、言葉の重みがよく分からないというのもあるし、二十歳過ぎればただの人、って言葉もあるけど、単に早熟なだけってこともあるからね。職人って聞くと、その二文字の中に誇りとか地道な努力とか、生涯現役ってイメージもセットで詰まっている感じがして、格好いいですよ。


音楽でいうところの職人技術って、何があるでしょうね。やっぱり楽器製作とか、楽譜浄書とか、現代ならPAのエンジニアとかサウンドクリエイターの仕事も入るかな。でも僕はそういうのはあまり興味がなくて、やっぱり作曲とか、創造性の高い仕事の方が好きだし、得意かな。でも作曲とか、そういうクリエイティブな仕事で「職人」と言われるようなことはあまりないですよね。多分職人っていうと、一つの同じ物を凄く高いクオリティで作り続ける人、というイメージがあるからかな。なんかそこにジレンマを感じます。



そうです、作曲で職人って呼びたい人が一人いました。えっ、と思われるかも知れないけど、モーツァルトです。

モーツァルトは5歳で初めて作曲をして、天才とか神童とか言われましたし、それはもちろんそうなんですけれど、大人になってからのモーツァルトの筆致は、天才のそれではなくて、まさに職人技術と言えるものですよ。こういう感覚は、音楽理論を深く勉強しないとなかなか見えてこないんじゃないかなあ…。誰かこれに共感できるって言う人いないかなあ。

誤解を恐れずに分かりやすい例を出せば、モーツァルトは譜面を逆さまにひっくり返して弾いても同じ曲になる、という遊びの曲を書いたりしているんですけど、ああいうのはまさに職人技術の結晶なんですよ。よく似たケースで言えば、バッハもそうです。バッハもメビウスの輪みたいに永久に繰り返す対位法の曲を書いたりしている。いえ、バッハに限らず、対位法の作曲はみんな職人技術かも知れませんね。

もう一つ言うなら、モーツァルトの時代って音楽は貴族やお金持ちの贅沢だったから、そういうお客さんのニーズに応えた商品(楽曲)を納品する能力に長けていた、それからモーツァルトはオペラで成功して名前を売った人だから、時代の流れを読むのが上手かったとか、庶民の嗜好をとらえる能力に長けていたんだと思います。一言で言うと「売れ線」なんです。フィガロの結婚も貴族風刺(今で言うなら政治風刺)のコメディだし、コジ・ファン・トゥッテなんて吉本新喜劇でも無理、僕もこっそり出た事のある松○新喜劇(シーッ!内緒ですよ)には絶対無理、っていうようなドタバタ劇ですよ。もちろんモーツァルトが台本を書いたわけじゃないんですけど。ダ・ポンテでしたっけ!?
Cosi_Fan_Tutte_1.jpg

だけど音楽はミスマッチともいえるほど素晴らしい。「アーディ〜オ〜♪」って歌う重唱とか。(曲名知りません。すみません)

大体天才って言われる人はその逆で、時代なんかどうでもよくて、部屋にこもって難しい器楽曲ばかり書いて、時代を先取りし過ぎて死んでから評価されたりすることが往々にしてあるから、やっぱりそういう意味でもモーツァルトは天才というよりは職人タイプなんですよ。


そう思うと余計、なんでも全部「天才」の一言でくくられてしまうのってつまらないですね。

posted by いのじゅん at 02:18 | 日記
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